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シコウキロクソウチ

時々しかアップロードされない気ままブログ。 本、映画、美術館、ギャラリー等の記録を気ままに書き記す予定。

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【風穴 もうひとつのコンセプチュアリズム、アジアから】

【風穴 もうひとつのコンセプチュアリズム、アジアから】
2011年3月17日(土)
国立国際美術館

出展者:ヤン・ペギュ、木村友紀、邱志傑(チウ・ジージェ)、島袋道浩、Contact GONZO、THE PLAY、Dinh Q Le、Araya Rasdjaimaea Rnsook、立花文穂


最近、アジアのコンテンポラリーアートに注目されてきていることと
興味があったので行ってきました。

作品も面白かったけれど、この展覧会の作品解説シートとチケットデザインが今までと違い、
見ていて面白かったです。
この展覧会でも出展している立花さんが手がけていて、
紙質、インクのかすれ等を意識したものでした。
チケットをもらうところから展覧会が始まっているんだなと感じました。

日本、中国、韓国、ベトナム、タイから計9人のアーティストが集結しています。
中でも私は邱志傑(チウ・ジージェ)、島袋道浩、
Din Q le、Araya Rasdjaimaea Rnsookの4人が面白いなと思いました。

今回はこの4人についてのレビューを書こうと思います。



《邱志傑(チウ・ジージェ)》
邱氏の作品の大きな主題としては、国家が作り出す理想と故人の生の葛藤を見つめているというところにあります。
フロアの中央にスクリーン、両サイドには中国を象徴する南京長江大橋が描かれた症状の数々が飾られていました。
この橋はその象徴に「達成」や「成功」の証として存在していると同時に自殺の名所としても知られています。

国家が描く理想像というのが、その国に住んでいると感じにくく、
実際に他国からなんと思われているのかなります。

私たちは知らず知らずの間に国からもたらされる情報の中で何が正しく何が違うのか、
一種の洗脳の中にいるのではないかなと思うのです。あくまで個人の意見ですが。
例えば邱氏が何かしらの不安や疑問と言った何かを感じ取ってこの展示になったなら
急激に発展を遂げている中国の今をしっかりと捉えた深い作品なのではないかなと思います。

展示の仕方はサイドは生前とした賞状の列、反対は山積みにされた賞状。
表から見たスクリーン映像は裏返った文字だが、反対側から見てみると容易に読む事のできる文字が投下されたスクリーンから読めました。
あからさまな対比方法だったかもしれないが、
シンプルな主体、コンセプトだったので、中国の内情に詳しくない私でも純粋に「理想と生の葛藤について考えることができたように思います。

この作品はアーティスト本人が今の中国の世相と見つめるのと同時に、
諸国に住まう人間が今一度「理想と生の葛藤」について知るきっかけになったのではないでしょうか。
私はそういう意味でも深みのあるものになったのだと考えています。


《島袋道浩》
彼の作品は何度が拝見させてもらったことがあります。
いつもちょっとした視点の違いで、ユーモアにあふれているように思います。
私が気に入っているのは「柿とトマト」「born as the box」「カメ先生」の3作。

「柿とトマト」は、遠目でみると同じような形と色のふたつが並んでいてトマトにしか見えません。
しかし、近づいていざ見てみると驚くほどに違います。

それだけ普段、視覚に頼っている部分が多く、
脳に頼ってモノを見ていることが分かります。

「視覚」というのは、私が長年気になっている物事のひとつなので
島袋氏のこの作品は、自分の興味から見ても作品的にも興味深いものだったと思います。


「born as the box」はストレートに箱の気持ちを表現していて、
思わず笑ってしまいました。
私たちは、段ボール箱を「ただの箱」としてしか認識していませんが、
いざ「箱の気持ち」を語られたときに、ものを大切にする意義を感じました。
ただシリアスに語るのではなくて、
関西弁で流暢に話すから余計に面白いというのもあったのかなと思います。
こういうストレートなおかしさと意味を持った作品は好きです。


最後に「カメ先生」についてですが、これは色んな意味でショッキングでした。
そもそも美術館内に生きたカメがいたこともショックでしたし、
それを作品にしているということもショックでした。
思わずキュレーターともお話したのですが、
「カメ先生」と1対1で向き合うことで、
何かを学んでほしいというのがコンセプトのようです。

向き合っている瞬間、何を得るかはその人自身の問題ですが、
私は会話しているときより横からその情景見ていることの方が学べた気がします。

一貫して「見る」「見られる」という部分に私は興味があるようです。
美術館で改めて生き物を見るという行為をすることで、
人はそれを珍しいこととして認識し、カメ先生に対して好気の目をしていたと思います。
別に動物愛護をしているわけでもありませんが、
一時的に「生き物を人間のエゴで囲って見る」ということがとても複雑なことのように思いました。
水族館や動物園だったらこんな気持ちにならなかったと思います。
人間というのは、やはり勝手ですね。


《Din Q Le》
ベトナムのアーティスト、ディン氏の作品を初めて見ました。
デュシャンのような感覚で私は、彼の作品を見ました。
というのも、ベトナムの路上やお店で見かけるものを出展していたのですが、
その全てがとても斬新で、インパクトがあったからです。

タイヤのゴムが路上にあるだけで、タイヤのパンク修理の合図だとか、
それが当然のように路上にあるということが面白いと思います。
文化間の違いをより感じさせる作品群だったなと思います。

深い意味ではデュシャンとは違いますが、
ものの扱い方というか見せ方が似ているのかなと思いました。


《Araya Rasdjaimaea Rnsook》
彼の作品は、何の知識もないタイ人に西洋絵画を見てもらい、
思い思いに意見を言ってもらうという主旨でした。
これも文化観の違いが多いに出る作品で、とても興味深かったです。

人は身近な部分から、あるいは知っている自分の記憶とリンクさせて物事を考える生き物だと思っています。
この作品はタイの人々の文化を基盤に話すので、
西洋絵画の意図を知っている人から見るととてもチグハグは話をしているように見えます。
少し笑いも起こるようなおかしさも兼ねているように思います。
けれど、私は「芸術を楽しむ」という本質も兼ね備えているように感じました。

日本で芸術を学ぶように堅苦しくなく、
楽しく自分の国と他国を縮めることができる機会だったんじゃないかなと思います。

人によっては様々な印象があるかと思いますが、
私はその国によっての答えを毎回感じれるように思ったので、
とても好きです。
ぜひタイだけではなく、様々な国の人の意見を映像化していって欲しいと思いました。
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【躍動する昭和 木村伊兵衛展】

【躍動する昭和 木村伊兵衛展】
2011年2月19日(土)
何必館・京都現代美術館


写真家の中でとても有名な木村伊兵衛ですが、きちんと知らないなあと思い、
意気揚々と行って参りました!

今回の展示会では何必館のコレクションから厳選された作品を、5つのテーマに分けて展示されており、
初心者でも着目しやすい文章で見やすかったのではないかなと思います。




以下 引用(http://www.kahitsukan.or.jp/frame.html)



木村伊兵衛の眼


梶川 芳友

 

木村伊兵衛がのこした「昭和」という時代の日本の風景。それは私の記憶のなかにある懐しい感情を蘇らせる。

他者の気持ちと体温が触れあう絶妙な距離感を保ちながら、野暮な一線はさらりとかわす。軽妙洒脱でありながら、出会った瞬間に存在の核心を見通す粋な眼の輝きが、人の心を打つのである。
東京下谷の下町育ちで、寄席や義太夫に通う早熟な少年だった彼は、小型カメラ「ライカ」と出会い、東京の下町だけでなく、沖縄をはじめ日本各地のスナップや、著名人のポートレイトに独自の感覚を発揮し、日本写真界に新しい潮流を生み出してゆく。

昭和27年、たまたま訪れた秋田で「いま私達が生きている現実の縮図として、写真的に表現し易い面を沢山持っているように感じられた」と、農村の人物や風物を撮りはじめる。その後、秋田の一地域に執着し、昭和46年までに21回も訪れたこのシリーズは、ムラの微妙な胎動を浮き彫りにするとともに、農村を通して日本の文化と風土を丸ごと捉えた、木村伊兵衛のなかで最もすぐれたドキュメントとなっていくのである。

木村伊兵衛にとってカメラは肉眼よりもはるかに奥深くを視ることのできる道具であった。優れた資質とたゆまざる努力によって、昭和を撮りつづけた彼は、60歳を越えた頃から、人間を見る眼が非常にはっきりしてきたという。それは日常の生活のなかにある、生と死の根源を切り取る写真家の眼である。

気に入ったものに出会うと「粋なもんですね」というのが口癖だった木村伊兵衛の生涯には、贅沢な時間が流れている。


(何必館・京都現代美術館長)







《全体的な感想》
木村伊兵衛の重要性っていうのはどういうものなのかなと思っていたのですが、
この展示を見る限りでは、その時代性・当時の日本人の文化観・写真表現の先駆けかなと思いました。
私の見解ですが。しっかりした文献を読んだわけじゃないけど。
それを5つのテーマに分けて、色んな角度から見ることで面白さの幅を堪能できたように感じました。

また展覧会にあたっての館長のテキストが、
ともすれば主観的なテキストかもしれませんがその人の意図を分かりやすい形で
書かれていて、私はとても親しみやすい印象を受けました。
各テーマのテキストも木村氏のコメントから抜粋されていたので、
彼がどういうコンセプトが込められているのかが分かりやすかったです。

昭和20年代に作られた写真を展示していましたが、
保存状態が良いと約50年前のものでも、プリント状態から生まれる迫力は一層力強いのかなと感じました。
現代作家の生まれたての作品ばかり見る機会が多い私ですが、
故人の作品であっても、時間が経過した作品であっても、
美しいのだなと再認識した機会でもあったと思いました。


《躍動する昭和》

このセクションでは、力強い黒のコントラストから見られる昭和20年代の時代性でした。
私は60年代の生まれで、目前に平成があったため、
等しく初期の昭和はこうした写真や映像でしか知ることができないので、
貴重な一面を見れたように思います。
人が好きだという木村氏のことば通り、人と人とのふれあいや心の通いはもちろん、
進化していく昭和の過渡期も映し出されていました。
もっと今を知る場所があれば、より魅力的に感じれたのかなと思うと少し残念です。



《秋田の民俗》

木村伊兵衛といえば「秋田」での写真というイメージでした。
勉強不足と「秋田」の作品のイメージが勝手に秋田出身の人、というイメージになっていました。笑
違うんですね。木村氏は東京の生まれの人だったんですね。
衝撃的だったので、記憶が一新されました。笑

秋田へ行き、日本の民族性が収縮されていると感じたことから、
足しげく秋田の村へ通ったことから出来上がった作品。

親子、友人、夫婦、恋、日本文化、郷愁、暖かさ、親しみ
そういう単語らが当てはまるのかなと思います。
今の時代は人間関係が希薄(特に都市部において)だと言われている時代。
ある程度の距離感をもって接しなくてはならない部分を多く感じる今だと思います。
けれど、木村氏の作品の中にはそういう距離感は感じませんでした。
子ども(学生)間ではそういう希薄さはもしかするとないかもしれませんが
(最近の子どもならあるかもしれません)、
大人も子どもも良い距離感で、互いに心をおきなく話せる人が多かったのかなあと想像することができました。
「野暮な一線はさらりとかわす」というのは、きっとこの捉え方にあるのかなと感じました。



《よみがえる都市》

《秋田の民俗》の次に展示されているこのテーマは、風景としてはかなり正反対だが、
本質的なところにある人のあたたかみは同じだと感じました。
人がさっと変わるわけでもないから当然といえば当然だろうが。
《躍動する昭和》から派生したようにも見えるこのシリーズでは、
発展した中に人の激動も混じっているように思えました。



《日本列島》

このシリーズでは、日本各地の有名な場所を治められており、
歴史の中の日本一周をさせてもらえたような気持ちになった。
様々な場所があったけれど、沖縄の那覇市、大阪の中之島、長崎の大浦天主堂のイメージが一番強かったです。

大阪は、私の出身なので関心を持ってみることができたのだと思います。

沖縄は、特に日本文化と他国との文化が混じり合う部分があり、本州とはまた違う民族性を感じれたことがインパクトがありました。
現代では話し方は違うにせよ、衣服や所作から生まれる違いというものを感じることは少ないのではないかなと思います。

長崎の天主堂は、観光名所としてのイメージしかない私にとって、
たくさんの人が礼拝をしている姿というのは、神秘的なもののように感じました。
現代の日本では仏教寄りの習慣は多いかもしれませんが、
当時以降の時代には習慣などではなく、本当に信心して祈っていたのだなあと感じました。

時代によって短い期間の中でも、今までに大きな変動があったということに気付かされました。



《ポートレイト》

このテーマでは、「手」がキーワードでした。
手の表情ひとつで、女はあやしくも、なまめかしくもなると言っていた木村氏のことばを読んでから展示室へ入ると、
今まで私がいかに感覚的な全体像と顔の表情しか見ていなかったかということが分かりました。

またこのポートレイトに登場する人物は「与謝野夫婦」「上村松園」「泉鏡花」「横山大観」等多数の著名人でした。
教科書に載っているような写真ではなくて、
このような日常的なワンシーンの中から見る著名人は親近感を覚えるような気がします。

そして、木村氏が言っていた「手」を、「顔の表情」「空間の表情」と含めてみたときに
際立ってその人柄が浮き上がって出てきたような気がしました。
この展示では木村氏がいかにすごいか、ということよりも、
いろんな要素を含めて見たときに写真に深みが出るのだということを教えてもらえたように思います。


全体的に見やすく、分かりやすい展示だったのではないでしょうか。
私はそう思います。

【MIO PHOTO AWARD 2010】

【MIO PHOTO AWARD 2010】
天王寺ターミナル株式会社,
ミオ写真奨励賞実行委員会

2011年2月12日(土)
天王寺MIO


友人の出展ということもあり鑑賞へ。
珍しく図録も購入。今回の展示は好きなものが多かったように思う。
数ある展示の中で、自分が特に関心のもったものを記載しておく。


《点と線》江村一範

会場に入って再奥中央の大きなモノクロ作品。
「見えている状況だけを注視しなくてはならない」ということばに、
山の存在の大きさを感じた。
作品が大きなだけに山を登る人の視覚を少しでも体感できることが良かったと思う。

点と線。
形成している山。


《オーディション》キリコ

離婚した女性の作品。
彼女の結婚観の揺れ具合、変化、悩みというようなものを
インスタレーションとして表現。
飲み屋で撮った白熱灯の赤っぽさが生々しい。
何人もの男性を写真として収め、距離感を捲ることで感じることができた。
中央にあった彼女の素顔や性交渉の場面は、
「結婚すること」「愛すること」等、愛に対する様々な疑問を感じさせられた。
何より彼女の「愛することへの不安」「疑心」がにじみ出ていた。


W・I・N・G(Way into the new generation)》Bertram Schiller

重症心身障がい者の人たちを1年かけて撮った作品。
モノクロの作品を大小さまざまなサイズでちりばめられた作品の中でも、
中央に飾ってあった髪の長い女性の目が印象的。
健常者と心身障がい者の同じであって同じでない部分と
同じだろうと思う部分が表現されているのかなと感じた。
中身の深いものなので、簡単なことばでは表現が難しい。
ちょっと熟考の必要あり。


《SAM》水渡嘉昭

純粋に、よく見知らぬ人と2年間も暮らしたなあと思う。
それだけ惹かれる魅力がサムにはあったのだろうか。
その不思議な2年が作者の中に閉じ込められ、生涯、心の中に残るのだろう。
そう思うとこの写真は作者の魅力であり、サムの魅力であり、
不思議な2年間の魅力であると思う。
そして、不謹慎かもしれないが、サムの死によって一層神聖化したように思う。
そういう感覚がこのモノトーンにはあると思う。


《thats cause that guy isn't human but some kind of godish japanese hottie from another world》須藤絢乃

森村さんの特別賞納得の作品。
男性、女性のファッションが曖昧になってきている世の中を、
彼女の目から見た少女マンガ的なかすみやラメを効果的に使って表したカラー4点。
男性が女性のファッション、女性が男性のファッションを着て写っているが、
マンガ風になっているせいもあって、違和感がない。
昨今、女性が男性よりも男性らしい、男性が女性よりも女性らしいという風潮も
こういうファッション性に現れているのかなとも思わせた。
マンガ的に描かれているが、現代の性について的確に捉えているのではないだろうか。


《れい 18歳》堀内みやび

生死についてダイレクトに響くカラー作品。
何度も見るたびに寂しくなるし、切なくなるし、
ましてや死を直面した相手が妹であれば、その衝撃は予想もせぬほどのものだろう。
この作品ですばらしいのは、
死に直面した負のイメージだけが多くを占めるのではなく、
妹の死に対して受け止め、
自分の中で消化し進むという前向きな気持ちが見えるところだろうと思う。


《RAINBOW》Kuba Rubaj

とてもファンタジックなカラー作品。
ファンタジックであるのに、現実の世界で起こっているという。
自然回帰ではないけれど、
できるだけ自然な生き方をしようという村が世界のさまざまな場所にあるという。
「はたして人は完全に自然なままで生きていくことができるのだろうか」という
作者の率直的な投げかけの答えがこのレインボー・ギャザリングにあるのだろう。
興味深い。


以上

【障壁画】円山応挙

【障壁画】円山応挙
2011年1月29日(土)
金毘羅宮 表書院


ひとまずパンフレットタイプのみ。
感想は後日。


表書院

表書院は、入母屋造、桧皮葺で、萬治年間(1658-1660)の建築と伝えられる。
ここはかつて、金比羅大権現に奉仕する別当金光院が、
諸儀式や参拝に訪れた人々との応接の場として用いた客殿であった。
建物は、内部の五間に描かれた円山応挙による障壁画とともに、
重要文化財に指定されている。
また、明治の歴史画家 邨田丹陵(むらたたんりょう)も二間の障壁画を描いている。

 表書院の西側には、江戸時代の作庭といわれる池泉鑑賞式庭園、林泉がある。
象頭山十二勝の一であり、「前池躍魚」と称されて、
よく文人墨客の詩歌にも詠まれた。
また、前庭には、式木と呼ばれる松・桜・柳・楓が植えられた
鞠懸(まりかがり)が設けられている。
当宮における蹴鞠は一時廃絶するも、昭和七年には蹴鞠会を作って再興した。
後世に伝えるべき芸能として、県の無形文化財の指定を受けている。


○面白いなと思ったのは、式木と呼ばれる木が植えられていること。
狭い空間の中に必ず四季を楽しむ日本人の心が残っているところに、日本人の優雅さを感じた。
この庭を越えても林泉がおかれる庭に出る。先ほどの広い庭と違い、ゆったりとした時間を室から外にかけて楽しめるのが良いと思う。
 こういった家屋ではたいていのもので言えると思うが、どの室から見ても外、襖絵、欄間などどれを見ても楽しめるというのが、豪華であると思う。


円山応挙 障壁画

表書院には、五間に及ぶ円山応挙による障壁画があり、
いずれも重要文化財の指定を受けている。
すべて、応挙晩年にあたる店名から寛政年間にかけての秀作であり、
三井家から資金援助を得て京都で制作したという。
円山応挙(1733〜95)は、はじめ狩野派を学び、
のち中国の古画や明清画の写実技法を研究した。
写生を重視しながらも、
そこに伝統的な装飾性を融合させた様式を展開したことで知られる。
円山派の祖であり、門下に長沢葦雪や呉春がいる。


鶴の間 遊鶴図 天明7年(1787)55歳作 紙本墨画

東側の床の間には、羽に頭をうずめるようにして身を寄せ合う二羽の真鶴が描かれている。
続く北側の襖には、
稚松の生える土坡上に立つ一羽の真鶴と二羽の丹頂鶴がおり、
あたりには様子を窺うかのようにそれぞれ違う方向を見やる。
そして西側の襖には、空から飛来する丹頂鶴や、風に靡く葦のほとりを歩む丹頂鶴がいるなど、
様々な姿態の鶴が描かれている。
玄関を入ってすぐ左に位置するこの室は、諸家から来た支社の控えの場であった。


虎之間 遊鶴図 天明7年(1787)55歳作 紙本墨画

崖下に横たわる虎、横を向く虎、正面からこちらを窺う虎、そして白虎、
なかには、眠る豹もみられるが、まさに虎尽くしと言うべき室内の中でも、
特に「水呑みの虎」は名高く、表書院の代名詞ともなっている。
瀧から落ちる清流を、向かい合って仲良く飲む親子の姿は、見る者を和ませる。
本来、獰猛であるはずの虎たちであるが、ここでは皆、とても穏やかで愛らしい。
この室は、引見の人や役人等の座席であった。


七賢之間 竹林七賢図 寛政6年(1794)62歳作 紙本墨画

金砂子の霞に煙る竹やぶの中に、ひっそりと隠棲する七賢と三人の童子の姿がうかびあがる。
七賢とは、中国の魏晋時代に、俗塵を避けて竹林に会した
阮籍・嵆康・山濤・王戒・向秀・阮かん・劉怜を指す。
清談をして世事を忘れたといわれる自由人たちであるが、
ここでは童子が事や巻物、絵絹らしきものを持っていることから、
事や書画に遊ぶさまを描いたものと思われる。
この室は、儀式の際に金光院別当職が座る席であった(天明7年制作という説もある。)



山水之間 山水図 寛政6年(1794)62歳作 紙本墨画
上段之間 瀑布図 寛政6年(1794)62歳作 紙本墨画

表書院の障壁画のうち最高の傑作とされ、
また応挙の画業を代表する山水図として知られているのが、
上段の床の間に描かれた瀑布図である。
右辺の瀧から勢いよく垂下し、
中央の渓からの細流とともに激しく波打ちながら左へと流れ込む河川を描く。
そして、上段之間の東側には楼閣が建ち、
そこから臨む水辺の景が下段の間に広がる。
続いて、南側の襖の渓谷には点在する人家がみえる。
あたりには金砂子の霞が漂い、深山幽谷の幻想的な世界を醸しだしている。
この室は、諸大名が来訪した際の座席であった。


檜樹鷲図 森寛斎

玄関から正面を見上げると、力強く立上る檜の巨木から、
右へと伸びる枝に止まる鷲の姿が眼に飛びこむ。
羽を広げて威嚇するかのように家宝を睨むその鷲は、
今にも飛びかからんと迫り来る。
落款には「明治十六年癸未晩夏写平安寛斎森公粛」とある。
幕末から明治期の画家で、維新後は京都画壇において円山派の重鎮として活躍した
森寛斎(1814〜94)の作であることが知られている。



富士一之間
富士二之間
 邨田丹陵
一之間の床の間には、雪を頂く富士の雄大な姿が、
淡墨で瀟洒(しょうしゃ)に描かれている。
南側襖まで引かれる富士の稜線の先には、
濃墨・淡墨であらわされた樹木が低く林立し、
室内を取り囲むかのように東側襖へ続く。
富士の裾野は、鎌倉武士たちによる巻狩が行われた場所として知られているが、
一之間に続く二之間には、
源頼朝の一行が鹿を追う様子が描かれている。
室中にひろがる裾野を駆け巡る武士たちは、
鮮やかな著色によって描かれ、力強く躍動感にあふれている。
この二室は、邨田丹陵(1872〜1940)が伊藤紅雲、吉沼晩汀、佐藤千浦とともに
明治35年(1902)に来訪した折に描いたものである。
丹陵は、東京生まれで、はじめ吉沢素山に学び、のち川辺御楯のもとで土佐派を学んだ歴史画家として知られている。

【アートの起源│科学】ファラデーケージ/放電場電飾/雷神来人図etc

【アートの起源│科学】 杉本博司
2010年11月21(日)〜2011年2月20日(日)
@丸亀市猪熊弦一郎現代美術館



【ファラデーケージ】
【放電場電飾】について

【作品情報】
○3F
○《放電場電飾 004-007,009-011》 Lightning Fields Illuminated 004-007,009-011
・2008年
・177.8×111.7×7.6cm
・ライトボックス、白黒フィルム
○《雷神来人図》Lightning fields Composed 012
・2010年
・2隻の帳幕で構成、各200.0×1200.0cm、帳幕(絹)
○《雷神像》Thunder God
・鎌倉時代
・高さ 63.6cm
・木造、着色、象眼
○《放電場 128》Lightning Fields 128
・2009年
・149.2×119.4cm
・ゼラチン・シルバー・プリント
○《ファラデーケージ》Faraday Cage,2010
・2010年
・鳥かご 50.0×30.0×40.0cm、スタンド 156.0×53.0×43.0cm、ミクストメディア


【コンセプト】

雷が電気であることを証明したのは1752年のベンジャミン・フランクリンの凧揚げ実験である。
電気の語源は古代ギリシャ語の琥珀(エレクトロン)であると言われている。
毛皮と琥珀を摩擦させることによって二つの物質間に引力が生まれることから、
この不思議な力が電気と名付けられた。
その後のヨーロッパにおける近代科学の発展は、
神の領域に属すると思われていた自然界の現象の中に法則性を見いだしていった。
今では昔、神話と思われていた雷は理解され、
電気は利用されて現代文明の動力源となっている。
 人間が自然界の法則性を科学的に理解するということは、
実験によってその現象を繰り返し再現することが可能であることを意味する。
1831年にマイケル・ファデラーによって発見された電磁誘導の実験を、
ファラデーケージとして会場に再現してみた。
人は神に代わって雷を起こすことができるようになった。
古代出雲の神殿を模した雷神像を祀り、
その足下にファラデーケージを発光させて、
長い人類の精神史を辿り、その行く末を占うよすがとした。


【作品解説】

◎放電場電飾
暗室内に故意に放電現象を起こし、
光の一瞬の動きを、大判のフィルムや印画紙にカメラを通さずダイレクトに
焼き付けたシリーズ。
電極となる金属の形状や溶液によって発光の形や方向は変化し、
光の軌跡は、あるときは落雷現場さながらの迫力ある稲妻となり、
あるときは生命の気配さえ漂う微細で複雑な形象を見せる。
 本シリーズは、展示方法によっても表情をがらりと変える。
ネガフィルムをそのまま見せる《放電場電飾》では、
光跡黒く反転し、背後のライトボックスが陰影を浮き上がらせる。
複数のプリントで構成した《放電場構成》では、光はあらゆる方向に走る。

◎雷神来人図
放電場シリーズで捉えた光の軌跡を、
二隻の帳幕に染め抜いた作品。
空気が動くと、幕上の雷光もゆれる。
布という柔らかい媒体が、
人々に畏怖を与えてきたはずの兄弟な力を和らげているかのようだ。
人は電気を手中に入れ、恐れることをしなくなった。
「雷神来人」という杉本らしい洒落を含んだタイトルに、
現代の「科学」の有様を考えさせられる。

◎ファラデーケージ
ファラデーケージとは、導体(熱や電気をよく伝える物体)に囲まれた空間、
もしくは導体で作られた籠や器のことをいう。
電磁誘導を発見した19世紀の科学者、マイケル・ファラデーの名を冠するこの装置を、
杉本は、ファラデーと同時代のものと思われる鉄製の鳥籠を用い自作した。
中に組み込んだテスラコイルを作動させると、
鳥籠内に音を立てて青白い電光が走り、火花が飛び散る。

古野華奈子/丸亀市猪熊弦一郎現代美術館

(引用ここまで 美術館配布パンフレットより)



【個人的見解】

展示場へ行くまでの道は暗く、細く、長い。足下も心もとない。
遠くにチカチカと光るものが何かと気付いたのは、その道の中腹に来たあたり。
《放電場》がプロジェクターによって、少しずつスピードを増しながら光っていた。

1Fの表現がほとばしる稲妻が落ちる瞬間を捉えたのだとすれば、
この道で光っていたのは洞窟から眺める数々の落雷だと思う。

その細い道を抜けると広い展示場は嵐の空間だと感じた。
中央には巨大な階段。
イメージは出雲大社の神社のようで、
スポットが当たった雷神が激しく太鼓を打ち鳴らしている。
背景には《放電場》の一筋が力強く配置されていた。

雷の解明から再び太古へと時間が戻り、今と昔を行き来しているようだった。

雷神に向かって左側にライトボックスによって強く光っている《放電場電飾》が5点。
それぞれ、似ているが表情の違う白黒フィルムが
上下反対に並んでライトボックスに収められている。

向かって右側には、放電場がプリントされた帳幕があり、
時折挟まれた《放電場電飾》が帳幕の裏側から透けて存在を主張している。

壁を隔てた向こうに展示されていたファラデーケージが出す音が
空間をさらに盛り上げていた。

ファラデーケージは鳥かごの中で雷が発光していて、
人の英知と切なさが私はあったように思う。

俗に「神の領域を超えてはいけない」と、
医療やクローンなどの話などで言うことがあるけれど、
杉本氏が組み立てたファラデーケージを見ていると、
人が「神の領域」を超えたのはいつからなのだろうなと考えさせられたように思った。




【作品レビュー】
アートの起源│科学 総称
放電場構成/観念の形
偏光色/プリンピキア
放電場電飾/雷神来人図/雷神像/ファラデーケージ

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女性
職業:
デザイン
趣味:
散策
自己紹介:
ちょっといろんな見聞を深めて見たいようなお年頃。
ということで、いろいろ自分の意見をまとめるように書きちらす予定。

ちなみに普段は、読書メーターなどでまとめてます。

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