【躍動する昭和 木村伊兵衛展】2011年2月19日(土)
@何必館・京都現代美術館写真家の中でとても有名な木村伊兵衛ですが、きちんと知らないなあと思い、
意気揚々と行って参りました!
今回の展示会では何必館のコレクションから厳選された作品を、5つのテーマに分けて展示されており、
初心者でも着目しやすい文章で見やすかったのではないかなと思います。
以下 引用(
http://www.kahitsukan.or.jp/frame.html)
木村伊兵衛の眼
梶川 芳友
木村伊兵衛がのこした「昭和」という時代の日本の風景。それは私の記憶のなかにある懐しい感情を蘇らせる。
他者の気持ちと体温が触れあう絶妙な距離感を保ちながら、野暮な一線はさらりとかわす。軽妙洒脱でありながら、出会った瞬間に存在の核心を見通す粋な眼の輝きが、人の心を打つのである。
東京下谷の下町育ちで、寄席や義太夫に通う早熟な少年だった彼は、小型カメラ「ライカ」と出会い、東京の下町だけでなく、沖縄をはじめ日本各地のスナップや、著名人のポートレイトに独自の感覚を発揮し、日本写真界に新しい潮流を生み出してゆく。
昭和27年、たまたま訪れた秋田で「いま私達が生きている現実の縮図として、写真的に表現し易い面を沢山持っているように感じられた」と、農村の人物や風物を撮りはじめる。その後、秋田の一地域に執着し、昭和46年までに21回も訪れたこのシリーズは、ムラの微妙な胎動を浮き彫りにするとともに、農村を通して日本の文化と風土を丸ごと捉えた、木村伊兵衛のなかで最もすぐれたドキュメントとなっていくのである。
木村伊兵衛にとってカメラは肉眼よりもはるかに奥深くを視ることのできる道具であった。優れた資質とたゆまざる努力によって、昭和を撮りつづけた彼は、60歳を越えた頃から、人間を見る眼が非常にはっきりしてきたという。それは日常の生活のなかにある、生と死の根源を切り取る写真家の眼である。
気に入ったものに出会うと「粋なもんですね」というのが口癖だった木村伊兵衛の生涯には、贅沢な時間が流れている。
(何必館・京都現代美術館長)
《全体的な感想》木村伊兵衛の重要性っていうのはどういうものなのかなと思っていたのですが、
この展示を見る限りでは、その時代性・当時の日本人の文化観・写真表現の先駆けかなと思いました。
私の見解ですが。しっかりした文献を読んだわけじゃないけど。
それを5つのテーマに分けて、色んな角度から見ることで面白さの幅を堪能できたように感じました。
また展覧会にあたっての館長のテキストが、
ともすれば主観的なテキストかもしれませんがその人の意図を分かりやすい形で
書かれていて、私はとても親しみやすい印象を受けました。
各テーマのテキストも木村氏のコメントから抜粋されていたので、
彼がどういうコンセプトが込められているのかが分かりやすかったです。
昭和20年代に作られた写真を展示していましたが、
保存状態が良いと約50年前のものでも、プリント状態から生まれる迫力は一層力強いのかなと感じました。
現代作家の生まれたての作品ばかり見る機会が多い私ですが、
故人の作品であっても、時間が経過した作品であっても、
美しいのだなと再認識した機会でもあったと思いました。
《躍動する昭和》このセクションでは、力強い黒のコントラストから見られる昭和20年代の時代性でした。
私は60年代の生まれで、目前に平成があったため、
等しく初期の昭和はこうした写真や映像でしか知ることができないので、
貴重な一面を見れたように思います。
人が好きだという木村氏のことば通り、人と人とのふれあいや心の通いはもちろん、
進化していく昭和の過渡期も映し出されていました。
もっと今を知る場所があれば、より魅力的に感じれたのかなと思うと少し残念です。
《秋田の民俗》木村伊兵衛といえば「秋田」での写真というイメージでした。
勉強不足と「秋田」の作品のイメージが勝手に秋田出身の人、というイメージになっていました。笑
違うんですね。木村氏は東京の生まれの人だったんですね。
衝撃的だったので、記憶が一新されました。笑
秋田へ行き、日本の民族性が収縮されていると感じたことから、
足しげく秋田の村へ通ったことから出来上がった作品。
親子、友人、夫婦、恋、日本文化、郷愁、暖かさ、親しみ
そういう単語らが当てはまるのかなと思います。
今の時代は人間関係が希薄(特に都市部において)だと言われている時代。
ある程度の距離感をもって接しなくてはならない部分を多く感じる今だと思います。
けれど、木村氏の作品の中にはそういう距離感は感じませんでした。
子ども(学生)間ではそういう希薄さはもしかするとないかもしれませんが
(最近の子どもならあるかもしれません)、
大人も子どもも良い距離感で、互いに心をおきなく話せる人が多かったのかなあと想像することができました。
「野暮な一線はさらりとかわす」というのは、きっとこの捉え方にあるのかなと感じました。
《よみがえる都市》《秋田の民俗》の次に展示されているこのテーマは、風景としてはかなり正反対だが、
本質的なところにある人のあたたかみは同じだと感じました。
人がさっと変わるわけでもないから当然といえば当然だろうが。
《躍動する昭和》から派生したようにも見えるこのシリーズでは、
発展した中に人の激動も混じっているように思えました。
《日本列島》このシリーズでは、日本各地の有名な場所を治められており、
歴史の中の日本一周をさせてもらえたような気持ちになった。
様々な場所があったけれど、沖縄の那覇市、大阪の中之島、長崎の大浦天主堂のイメージが一番強かったです。
大阪は、私の出身なので関心を持ってみることができたのだと思います。
沖縄は、特に日本文化と他国との文化が混じり合う部分があり、本州とはまた違う民族性を感じれたことがインパクトがありました。
現代では話し方は違うにせよ、衣服や所作から生まれる違いというものを感じることは少ないのではないかなと思います。
長崎の天主堂は、観光名所としてのイメージしかない私にとって、
たくさんの人が礼拝をしている姿というのは、神秘的なもののように感じました。
現代の日本では仏教寄りの習慣は多いかもしれませんが、
当時以降の時代には習慣などではなく、本当に信心して祈っていたのだなあと感じました。
時代によって短い期間の中でも、今までに大きな変動があったということに気付かされました。
《ポートレイト》このテーマでは、「手」がキーワードでした。
手の表情ひとつで、女はあやしくも、なまめかしくもなると言っていた木村氏のことばを読んでから展示室へ入ると、
今まで私がいかに感覚的な全体像と顔の表情しか見ていなかったかということが分かりました。
またこのポートレイトに登場する人物は「与謝野夫婦」「上村松園」「泉鏡花」「横山大観」等多数の著名人でした。
教科書に載っているような写真ではなくて、
このような日常的なワンシーンの中から見る著名人は親近感を覚えるような気がします。
そして、木村氏が言っていた「手」を、「顔の表情」「空間の表情」と含めてみたときに
際立ってその人柄が浮き上がって出てきたような気がしました。
この展示では木村氏がいかにすごいか、ということよりも、
いろんな要素を含めて見たときに写真に深みが出るのだということを教えてもらえたように思います。
全体的に見やすく、分かりやすい展示だったのではないでしょうか。
私はそう思います。
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